海のまちバイクロア尾道 5月17-18日(土日) at 因島アメニティ公園/ONOMICHI U2

尾道・しまなみ
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Interview

「うみ」と「いま」がおもしろく見えてくる – 尾道の歴史を深堀りしてみた

尾道商會・会長 奥 忠直
Interview

「うみ」と「いま」がおもしろく見えてくる – 尾道の歴史を深堀りしてみた

尾道商會・会長 奥 忠直

バイクランドでは初めて海辺での開催となる「バイクランド尾道/因島」。会場周辺はいまでこそ「広島随一の観光名所」「自転車の聖地」として国内外で知られていますが、実は尾道の魅力を探って歴史をさかのぼると、1000年も前からずっと「おもしろい場所」だった! 歴史好きもそうでない人も「尾道の街を見る視点」がガラリと変わるお話を、尾道でまちあるきツアーを主催する尾道商會の代表、 奥 忠直さんに伺いました。

瀬戸内の海を見渡す向島の砂浜で面白いお話を色々とうかがいました。

まずは自己紹介をお願いします。


尾道出身の奥 忠直です。地元の高校を卒業後、広島大学・大学院では日本史学と教育学を学んでいました。現在は市職員として勤務するかたわら、歴史と散歩好きが高じて、まちあるき団体『尾道商會』を立ち上げ、市民や観光客に尾道の文化や歴史を紹介するツアーを定期的に行っています。
学生時代は平安時代の地方政策についての研究を行い、現在はライフワークとして地元尾道の歴史をいろいろと調べています。尾道商會のツアーには大学教授から小学生まで、幅広い方が参加されます。

インタビューを始める前に、「なぜ自転車のイベントなのに歴史の話をインタビューしようと思ったか」というところをお伝えさせてください。僕自身、歴史的なものが好きなんですけど、歴史そのものというより「おもしろい情報」が好き、みたいな感じで、好みが偏ってるんですよね。中でも司馬遼太郎さんの『街道をゆく』シリーズと、歴史学者の網野善彦さんが好きで。

おおっ、網野善彦さん! 偶然ですが、少し前に網野さんの本を改めて読みなおしてました。いま読んでもおもしろいですよね。

そうなんです。司馬さんの本も、小説より『街道をゆく』のようなノンフィクションのほうが僕はおもしろくて。自転車であちこち行く前に、その地域の回があるかどうか調べて読むようにすると旅が一気におもしろくなる。
だから、尾道の街も同じように、歴史を知ってから走ってもらいたいなと思ったのが、このインタビューのきっかけです。さて、本題なんですけど、尾道の歴史ってかなり長いですよね。奥さんの視点では、どのあたりの時代が特におもしろいと感じますか?

尾道の歴史で一番おもしろいのは、やっぱり中世ですね。日本の中世は、11世紀後半の平安時代後期から、16世紀の戦国時代までの約500年間ですが、たとえば尾道市内に現存する国宝や国指定重要文化財の建造物の多くが中世の14〜15世紀に作られています。


歴史って、時代が変わっていく中で違うものに置き換わってしまうんじゃなくて、前の時代の下地があって、その下地の上に新しい時代が塗り重なっていくようなものかなと僕は思っています。下地のさらに下層部には地質とか、地学的・地勢的な要素があるという感じ。尾道はその「下地」が地層のように街のそこかしこに見えていて、異なる時代がパッチワーク状になっているんです。

なるほど。そういった地層は街を歩いたり自転車でめぐると、気軽に見えてくるものなんですか?

はい。しかも、ここは室町時代、あっちは明治時代というように時代の異なるものが隣接しているのが尾道らしくて、おもしろいですね。各地層に共通するのは、街の中にそもそも住んでいない、別の場所から尾道を目指して来た人たちと、街の人が交わることで新たなものが生まれ、新たな価値になってきたということです。

尾道の街は平安時代から始まっていますが、そういう歴史の地層が「いま」と「つながっている感覚」って、経験として現代で自分たちが感じることにも当てはまります。

ということは、現代の尾道におもしろい人や個性的な人が集まっておもしろい街になっているのって、昔からの影響、それこそ中世からの影響が今もあるかもしれないということ?

そうですね。科学的に検証できるのかというと何とも言えないですけど、結果的にどの時代も、「外から来た人たち」と、元々いる「中の人」や「街にあるさまざまなもの・資源」とが交わっていく中で別のもの、新しいものになっていると感じます。

そういえば、少し前に尾道の弍拾dB(にじゅうデシベル)という書店で『中世瀬戸内をゆく』(1981年 山陽新聞社刊)という本を買って読んでみたんです。その本に尾道は「倉敷地(くらしきち)」という海上輸送基地に指定されたのが発展の始まりだ、とあっておもしろいな、と。

まさに1169年、倉敷地として港が開かれたのが、尾道という街の始まりですね。内陸で収穫された米などの物資を一時的に保管し、海上輸送でまとめて運び出す機能をもっていました。尾道の北側にある「世羅(せら)」の広大な田園地帯でとれた米を近畿地方に運んでいたそうです。

ただ、「物を運び出す街」は、ゆくゆくは「物が入ってくる街」にもなっていくわけです。出す、入るの2つをぐるぐる回していく中で、街に人・金・技術・物資を呼び込むようになり、それらの「玄関口」としての役割も果たしていった。

それと、尾道の市街地には古いお寺が数多くあり、現在も25ヵ寺を数えますが、そういったお寺の開創に関わったようなお坊さんが尾道を訪れたときに、他の地域から職人を連れてきていた、といった伝承もあります。

へー! 職人たちもただ単に街へ来るんじゃなくて、滞在中にいろんな技術とかを残していたんですか?

そうですね。たとえば中国山地で盛んに生産された、たたら製鉄で知られる「鉄」。付加価値を加えたり道具として使うため、製品にする必要があるんですが、尾道の鍛冶職人たちは日本刀のほか、建築物や船に使うクギ、あるいは錨や農機具といった製品なんかを生み出していた。鍛冶職人が集まって暮らしていた「鍛冶屋町」も尾道の路地の中に残っています。

そういった尾道の外から集まってきた、網野さんが言われるところの「職能民(しょくのうみん)」が、尾道の近くでとれる資源を使って、この街で新たなものを生み出していた。尾道という小さな港町の中で、モノや技術が行き交って、ギュッと集まっていたというのがおもしろいですよね。

学校で教わるような、貴族や武士が農民を支配するという構造が中心となった日本史とは違うんですよね。瀬戸内や中国地方を舞台としたローカルな歴史を知ると、ここから造船業とか、この雑然としたおもしろい街並みとかに続いていくんだなというのがよくわかって、本当におもしろい。お話にあった「いまとつながっている感覚」も理解できる気がします。

ところで今回の「バイクランド尾道/因島」の舞台、因島といえば日本最大の海賊、「村上水軍(むらかみすいぐん)」が有名ですよね。ざっくり簡単に教えてもらえますか?

金蓮寺と因島水軍城

僕自身、専門的にくわしいわけではないんですが……、村上水軍は中世、室町時代から戦国時代にこのしまなみエリアで活躍していた海賊で、強大な勢力をもっていたといわれます。大きな歴史の流れで見た時の「水軍」や「海賊」は、海の流通網が全国に広がっていく中で「安全な航行を担保するため」に必要な存在だったと考えられます。

なるほど。「海賊」と聞くと悪者のイメージが浮かびがちですけど、網野さんの本で「日本で『悪』という言葉と概念が生まれたのは中世になってから」とあって、いま現在の悪の意味とは少し違っていたと書かれていて。これまでの支配構造からはみ出すような、能力や技術を持った人々のことを「悪人」や「悪党」と呼んだのがその始まりだったんですよね。

そうですね。海賊も、支配下から外れてコントロールできなくなってしまって「悪いもの」と捉えられた側面があったかもしれないですが、なぜこのエリアに現れたのかというと、やっぱり安全な海上輸送のために必要だったからだと思います。

尾道に関係する史料として、近隣の商人が団体で和歌山まで行って熊野詣をした記録とか、近畿地方と為替のやりとりをしていたことがわかる文書も残っています。そのように中央(近畿)と尾道が密接につながって海を行き来していたからこそ、海賊の存在が欠かせなかった。

ちなみに海賊も一種の職能民というか、「漂泊民」だったと思うんですけど、米がとれる場所とは違って、農作物のとれない港のような場所に漂泊民が集まっていた、という考え方で合っていますか?

一般的にはそうだと思います。尾道もそうですし、隣の福山市では「草戸千軒(くさどせんげん)」という中世の都市が川の中州から見つかっています。また、岡山の備前に「長船(おさふね)」という日本刀の名産地がありますけど、そこも河川敷です。

そのような河川敷とか港などの境界線が曖昧な場所で、使える資源が近くにあって、交通の要所にもなりそうな条件が揃うと、職能民や漂泊民がお坊さんなどの宗教家とともに集まってきて、新しいものが生まれてきた。瀬戸内エリアにはそういう経緯で生まれた街の事例がいくつもあります。

へぇ、おもしろい! 現代でいうと、その「職能民や宗教家が集まる」状況ってどういう感じなんでしょうね。たとえば東京なら、駅からちょっと離れた家賃の安いエリアに、何かしらの技術やカルチャーをもっている変わった人たちがいたりします。そんな感じのおもしろい人が集まってくる場所が全国に点々とある、みたいな時代だった?

そうですね。まさにそんな感じだったと思いますよ。

いままでそういう中世の人たちの全国的なネットワークって知られてなかったけど、網野さんがそれを広く紹介してメジャーにしたという印象なんです。そのおかげで僕は、「尾道はおもしろい街だな」って認識できるようになったし、その中世からの流れがいまも続いているなと思っていて。

確かに。尾道がなぜこういう街になったのか、とか、なぜこういう街であり続けているのか、という答えは正直、自分としてはまだしっかり見つかっていないんです。地形とか地勢的な理由から説明してしまうのは簡単かもしれないけど、それだけでは説得力に欠けるという気もしています。事実として、尾道が“こういう街”であり続けていますし。

でも、尾道のようにカルチャー色が濃く残っている街って、ほかの瀬戸内エリアにはない気がします。

そうですね、尾道ほど色濃く“何か”をまとっている街は、なかなかない。そういえば仕事柄、移住して来られる方とお話することが多いんですが、やっぱり、おもしろい技術をもっている方が別のエリアから尾道に集まってきてるな、と感じるんです。すると、自分が歴史をずっと勉強してきて文献や資料の中から感じとることと、いまの暮らしでリアルに感じることと、時代は違うけれどあまりにも似通いすぎていて、こわいぐらい。

そういったお話を聞いた後で、今回の「バイクランド尾道/因島」のグラフィックを改めて見ると、全部の要素が入っている気がしてきます。中世の絵巻物みたいに島のあちこちに謎の人物がいっぱいいて、それぞれが自立して動いている、みたいな……。

あ、ほんとだ。尾道の良さって、この「ごちゃまぜ感」ですよね。ごちゃまぜの多様性の中からおもしろいもの、新しいものが生まれてくる、っていう。シンプルに言うと、尾道の魅力ってそういうことなんだと思います。「何でおもしろいと思うのか」という背景に、歴史の教科書では教わってこなかったルーツがあったりする。

めっちゃおもしろいな〜。バイクランドでは今後、ライドツアーもしっかりやっていきたくて、きょう話した歴史ネタにがっつりハマるような人向けの企画も、やりたいんです。「自転車がめっちゃ好きな人」と「歴史がめっちゃ好きな人」がちょっとだけ交わるような時間も、もっと作っていきたい。尾道はそういうことがいろいろできる土壌だな、と奥さんのお話で改めて感じました。ありがとうございました!

Interview & Photo by @mon_jya
Direction & Text by @im_osugi

尾道商會のロゴTもかっこいい奥さん


尾道商會

「多くの人に、尾道のもつ魅力を知ってほしい」
尾道商會はそんな想いから立ち上げられた町歩き団体です。

HP: https://onomichi-shokai.amebaownd.com/

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